根本康広の妻(嫁)は亡くなっている?息子や娘、実家についても徹底解説!

競馬界で大きな功績を持つ根本康広さん。

長らく調教師として活躍されていますが、ご家族について気になるという方も多いのではないでしょうか・

今回は、根本康広さんの妻や息子・娘、さらに実家ついてもより深く掘り下げていきます!

気になる方は、ぜひ御覧ください!!


目次

根本康広のWikiプロフィール

  • 名前:根本 康広(ねもと やすひろ)
  • 生年月日:1956年1月31日
  • 出身地:東京都北区堀船
  • 職業:元JRA騎手、現JRA調教師
  • デビュー:1977年3月(騎手として)
  • 騎手としての所属:美浦トレーニングセンター所属(東京→美浦・橋本輝雄厩舎)
  • 騎手引退:1997年2月28日
  • 調教師としての開業:1998年(美浦トレーニングセンターで厩舎を開業)
  • 重賞勝利:14勝(GI級3勝)
  • 主なGI勝利:1985年天皇賞(秋)、1986年朝日杯3歳ステークス、1987年東京優駿(日本ダービー)

根本康広さんは、1977年に騎手デビュー。当初は障害競走で活躍し、1981年までに中山大障害で3勝を挙げるなど注目を集めました。

985年秋の天皇賞では、13番人気のギャロップダイナに騎乗し、本命馬シンボリルドルフを破り、初のGI競走制覇を果たしました。1987年には、メリーナイスとのコンビで日本ダービーを制し、その名を広く知られるようになりました。

※イメージ

1998年には調教師免許を取得し、美浦トレーニングセンターで厩舎を開業しました。厩舎には複数の騎手が所属しており、特に藤田菜七子さんを育てたことでも知られていますね。

調教師としても多くの重賞競走に出走させ、勝利を収めている根本康広さん。

次でご家族について調査していきます!

根本康広さんの妻は亡くなっている?息子や娘についても徹底解説!

調教師として名を馳せている根本康広さん。競馬ファンなら誰でも知っているその名前ですが、そのプライベートについてはどうでしょう?今回は、根本康広さんの「妻」と「息子・娘」について、気になる情報をまとめてみました!

根本康広さんの妻(嫁)は他界している

※イメージ

実は、根本康広さんの妻は2019年8月に亡くなっています。

この事実は、多くの競馬ファンにも衝撃を与えました。根本さんにとって、妻は常にそばで支えてくれた大切な存在でした。

特に藤田菜七子さんに対しても「騎手の仕事は大変だ」と励まし続けていたとのこと。

2019年には、藤田菜七子さんの成長について、

亡くなった妻も、きっと菜七子の成長を喜んでいるだろう

と語ったことも。根本康広さんからは、妻への強い愛情が感じられますね。

先立たれた当時はとてもショックを受けてたという根本康広さんも、2020年には少しずつショックから立ち直り、新たな一歩を踏み出そうとしているようです。

息子と娘がいる!その職業やエピソードは?

※イメージ

根本康広さんには息子さんと娘さんがいます。

お子さんが競馬界で活躍しているのかどうかは、とても気になるところですよね?調べたところ、どうやら息子さんや娘さんは競馬の道には進んでいないようです。

息子さんや娘さんについて調査しましたが、情報は特に確認できませんでした。

2016年のインタビューでは、根本さんが子供たちに対してあまり強く怒ったことがない、と語っています。これは根本康広さんの師匠が「失敗して怒るのではなく、教えることが大切」と教えていたことが影響しているのかもしれません。きっと、子供たちは自由に自分の道を歩んでいるのでしょうね。


根本康広さんの実家は古書店だった!「梶原書店」の歴史

さらに、根本康広さんの実家についても興味深い情報がありました。

根本康広さんの実家は「梶原書店」という古書店を営んでいました。

ちなみに、梶原書店の息子さんは、JRAの女性騎手の藤田菜々子騎手が所属する根本康広調教師です。
赤羽マガジンより

都電荒川線の停留場前に店を構え、1964年から営業を続けていましたが、2021年に惜しまれつつ閉店しています。この場所には、根本さんの幼少期の思い出がたくさん詰まっていたそうです。

2024年現在は、全くの更地になっているようですね。ホームのとなりにあった書店でしたが、きれいになくなっています。

根本康広さんの父・健一さんが与えた影響とは?

根本康広さんのお父さんである健一さんは、実は大の競馬好きだったそうです。

健一さんは、中学3年生だった康広さんに黙って騎手養成所に応募!最初は騎手にはならないと話していた康広さんですが、健一さんの勧めに根負けする形で養成所に入ったんだそうです。

その後、康広さんは何度も試験に落ちましたが、父親の応援により見事に騎手としてデビューします。

また、父・健一さんが作詞した「夢見るダービージョッキー」という歌が、根本さんにとってはかなりのプレッシャーだったとか。

それでも根本康広さんは、

父がいなければ今の自分はない

と感謝を話しています。根本康広さんが競馬の世界に入ったのは、父の健一さんが大きく関係していたんですね!


根本康広の妻(嫁)は亡くなっている?息子や娘、実家ついても|まとめ

今回は、根本康広さんのご家族について調査してみました。いかがでしたでしょうか?

妻の死を乗り越え、息子や娘と共に前を向いて歩んでいる根本さん。今後も、競馬界での根本康広さんの活躍から目が離せませんね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次